中蒙国境、中国一美しい駅アルシャンで日本軍トーチカの廃墟へ行く【中国のスイス?】
はじめに
中国一美しいと言われるアルシャン駅が、日本によって作られたものだと知ったのは偶然だった。
鉄道を検索してみると、なんと留学先の吉林省長春から内モンゴルアルシャンまで、1日一往復列車が出ている。片道9時間、悪くはない。
さらに中国のサーチエンジンで検索していると、日本軍のトーチカがアルシャンには残っているらしい。
モンゴル国境付近の街に密かに残る日本時代の駅舎と軍の遺構…。これは行くしかない!
早朝6時に長春発、16時アルシャン着。
そして駆け足でトーチカに向かい、20時にアルシャン発、翌早朝5時に長春着。
滞在時間4時間、移動時間19時間の超弾丸旅行が始まった。
片道硬座九時間
硬座は中国旅が好きな人にはお馴染みの二、三人がけのボックスシート席だ。ひまわりの種の殻が散らばっていたり、座席なしの人が無理やり四人がけとして座ってきたりする、豊かな経験ができる座席である。
これまで私は硬座には長くても四時間ほどしか乗ったことのなかったため、九時間は不安しかなかった。
しかしのどかな車窓を眺めたり、向かいの席の人とお喋りしてればあっという間にすぎる。
また、コツを掴めばもともと狭い机の1/4くらいのスペースを使って寝ることもできる。
中国一美しい?アルシャン(阿爾山)駅
着いたー!
この駅舎が1937年に日本軍によって建てられたものだという。
中国一美しいのかはわからないが、煉瓦造りで山小屋のような佇まいは風情がある。
この駅自体もノモンハンの際にソ連軍の空襲を受けたようで、駅舎には弾痕らしきものが残っていた。
怖いぐらい澄み渡る濃紺の空を背景に立つアルシャン駅舎は、確かに美しかった。
白狼隧道トーチカ
さて、目当ての日本軍のトーチカへ向かう。
滴滴(中国版Uber)が使えない場所のようなので、駅前にたむろしていたタクシーに地図を見せ、ここ行きたい!交渉すると、2人で100元だという。
観光地価格ということで承諾した。
30分ほどかけて舗装されていない道を進む。
ご覧の通り遺跡の周りには何もない。タクシーをチャーターして行くしかないだろう。
トーチカに行く門は鍵がかかっており、近くの受付(小屋)のおばちゃんに開けてもらう仕組みだ。
月曜日から日曜日の9:00~17:00の間に入ることができ、無料である。定休日ないんか。
ひとつ気になったのは、受け付けのおばちゃんは明らかにこの小屋に住んでおり、テレビ見ながらお昼寝していた。日本軍トーチカ跡地で暮らすおばちゃん、何者…。
おばちゃんは「日本人って初めてみた〜。私たちとおんなじ顔してるね」と笑っていた。
受付の彼女がそういうなら、日本人観光客が来ることはそうそうない場所なのだろう。
事実、ネットで検索する範囲では2008年の学術調査以外で訪問した日本人のページは見当たらなかった。
草をかき分けて進むと、目当てのものが見えてきた。
「国恥を忘れるな」の文字。現在この場所は愛国主義教育基地に指定され、それゆえ保全されている。
4階建てに地下室がついた、広めの建物である。想像していたトーチカよりずっと暮らしやすようだ。
中には宿舎、便所、浴槽跡などがある。
また、室内にはこの近辺の要塞ができた経緯やノモンハン事件についての展示がある。
ここから見えるのが白狼トンネル。我々が鉄道でアルシャン駅に向かう途中に通ってきたトンネルだ。
ノモンハン事件の時にも、この線路を使って前線に送るための物資が運ばれていたのだろうか。
アルシャンの街道をいく
駅に戻り、タクシーの運転手と別れた後、少し早めの夕飯を食べた。
ここの郷土料理?だという氷煮羊。
鍋に氷と羊肉を入れ、煮込む。
最後に野菜を入れ、食べる。氷をいれる意味はわからないが、内モンゴルだけあって羊肉がかなり美味しい。
古代のような味のするヨーグルト。
観光地によくある二人乗り自転車を借りて、街中をぶらぶらする。
一般的な中国の街とは異なる、整備の行き届いた街道。
広場では安定の広場ダンスと太極拳が行われており、みんな思い思いにのんびり過ごしていた。
おわりに
アルシャンを歩いていると温泉施設がしばしば目に止まる。かつて1930年代には、日本風の温泉街が存在したという。
こんな大陸の奥地にかつて日本人が住んでおり、さらに100キロ先ではソ連と戦闘が繰り広げられていた。そのことが現在となってはとても信じられない。
駅舎とトーチカだけが、この街の歴史を記録するように今でもひっそり佇んでいる。