ぐるぐるの天パに生まれて良かったって、ドバイに行ったジェイソンくんが教えてくれた
小学生のころ、同級生にアメリカ人のジェイソンくん(仮名)がいた。
ジェイソンくんは毎年夏の間だけ一家で日本にきて、日本の小学校に通っていた。
両親とも日本語話者ではないので、日本語はほぼ話せない。
全校生徒100人ほどの少人数の学校にやってきた、日本語の話せない外国人。ジェイソンくんはとてもじゃないが学校に馴染めていたとは言えなかった。
英語の悪口をどこかで覚えた他の児童にいつも囃し立てられていたし、文化の違いなどもあってしょっちゅう衝突が起きていた。
そして私も、はっきりとは覚えてないが、多分よくわからずに差別的な発言をする側だっただろう。
しかし、あるとき、どういう流れかはまったく覚えていないが、ジェイソンくんと一緒にチェスをして遊んだことがある。
彼の家の目の前には公園があって、そこにチェス台やお菓子を持っていって、まだ幼い彼の妹と一緒にチェスをした。
私は英語が話せなかったし、なんならチェスのルールすら知らなかった。共通語も持たずに一体どのようにして遊んでいたのかは不明だが、とにかく楽しく遊んだ。
帰り道にふと、自分の天然パーマのことが頭をよぎった。
私は生まれつき髪の毛の縮れがひどく、さらに毛量がすごい。例えるなら、『凪のお暇』の凪と、ロッチの中岡の中間のような髪質をしている。
ここまでの天然パーマはなかなか珍しいので、幼少期は「外人」「もじゃもじゃ」のように囃し立てられたことがある。
子どもの言う「外人」という言葉には、お前はおれたちマジョリティとは違うマイノリティだ、という棘があり、特に疎外感を感じた。
「でもジェイソンくんは本当に『外人』で、いつもそう呼ばれてるんだなあ」
子どもながらにそう思ったものの、差別の深刻さや多文化共生の重要性なんていう考えにはもちろん至らなかった。
しかし、今振り返ってみれば、ジェイソンくんと遊んだ時に気づいたことは、その後数年間かけてじわじわと私の中に刺さったまま広がっている。
ジェイソンくんはそのあとすぐドバイに行ってしまった。今何をしているかは全く知らない。恐らくもう会うことはないだろう。
ただ、自分がマジョリティの立場で誰かがマイノリティとなる問題について考えるとき、私は必ず自分の天パと、ジェイソンくんのことを思い出す。
そしてそのたびに、「あの時気づけて良かったから、ぐるぐるの天パに生まれるのも悪くないな」と感じる。