中露国境、凍てつくアムール川を眺めて
はじめに
「海外行ったら人生/価値観変わった」
よく聞く言葉であると同時に、バカにされがちな言葉である。
胡散臭いマルチがインドに行って言いそうだなあと私も思っていた。
しかし、確かにたった一度の海外旅行で、私の人生も、価値観も変わってしまったのだ。
何十都市も中国旅行をした今でもなお忘れられぬ瞬間が、黒竜江省黒河にはある。
大学三年生の秋。
サマーインターンの期間をよくわからぬまま無意味に過ごし、まもなく就職活動が控えていた。周りでは早期内定も出ていた。
就活がいやでいやで仕方なく、自分が何をしたいかもわからない私は、とりあえず高校の同級生にLINEを打った。
「中露国境のアムール川眺めに行かん?」
「いいね!」
即レス。
彼女は私同様海外経験が乏しかったが、異様にフッ軽だった。
これ以降も船で大阪から上海に行ったり、昆明~成都途中下車の旅にも即レスで着いてきてくれる貴重な旅友になっていく。
そもそも、なぜアムール川か。
当時の私は石光真清という陸軍軍人が書いた自伝、『城下の人』に熱中していた。彼は日清~第一次世界大戦の間、陸軍のスパイとして中国大陸を駆け回った人物。
黒河は石光も滞在していた街であり、ロシア、清、日本の人々がごちゃ混ぜに暮らしていた地だ。ロシア軍により大虐殺が起きた歴史もある。
当時の東アジアの人々は、憎み合い、殺し合い、助け合い、支え合い、寒い大地を生きてきた。そんな記憶が、石光の自伝にはありありと描写されている。
いわば、好きな本の聖地巡礼。
何をすべきかもわからない当時の私にとっては、彼の何者にもなれる人生が羨ましかったのかもしれない。
そんなこんなで、中国語はニーハオならわかるレベルの女二人で、11月にして零下20度を下回る黒竜江省に行く事になった。
ちなみにこれが人生二度目の海外旅行となった。(一度目は大連・長春)
麗しの街、ハルビン
当時のハルビンはマイナス10度前後。寒いけれど、まあめちゃくちゃ厚着していれば耐えれるかなあという感じ。
地下街もあるから、中を歩けば暖かい。
ハルビン有名な中央大通は、西洋風建築が保存されていて中国とは思えない光景。
東北の水餃子マジでうまい。他の地域の1000倍うまい。マジで。
感動したのは、見たかった広場ダンスが寒いハルビンでも見れたこと。
ハルビン駅に安重根記念館があると聞いていたけれど、改修中で叶わず。
路線バスで1時間半、そこから徒歩15分くらいのところにある。
中国語力ゼロでネットもない状態(前の日にレンタルWiFiを紛失した。ADHDしぐさ)だったので、道行く人に筆談と身振りでなんとか伝えて、辿り着いた達成感がすごくて内容の記憶がない。
中は南京大虐殺記念館のような新しくてモダンな感じの展示だった。
いつもの感じです。
蝋人形のクオリティが高かった。
−27度、極寒の黒河へ!
ロシアと中国の国境の町、黒河へは寝台列車で11時間ほど。
実は初の寝台列車(サンライズ出雲は風情がないのでノーカン)だったため、ワクワクが止まらない。カップラーメンじゃにフォークを挿すやつもしっかり堪能。
初めてだったけど妙に揺れが心地よく、熟睡してしまった。
翌朝。人民の生活音で目がさめる。
窓から外を覗くと、一面雪の大地が見えた。
日本では見ることのない、どこまでもはてしない大地、そして地平線。
奥の方からは熱烈な色の太陽が迫ってきていた。
100年前の人々も、変わらぬ朝日をこの地で見ていたんだろう。
黒河に到着した。
国境の町、終点だ。
駅からタクシーで15分ほどのところにアムール川はある。
ロシアが見える。
向かいの町は、ブラゴベシチェンスク。
この国境沿いの町にも、明治時代に日本から売られた女郎がたくさん移住していた。
石光もここで、日露戦争の5年前から諜報活動を始めた。
ここはずっと、そういった極東のごちゃごちゃした歴史を見てきた町なのだ。
川沿いのいたるところに謎オブジェがある。
ふざけているように見えるかもしれないが、寒すぎて辛い。
こうでもしなきゃ無理。一ミリでも肌が露出していると死ぬ。
ニュースによると大寒波がちょうど押し寄せていて、−27度だったようだ。まだ11月ですけど…??
黒河の街並み。
黒河では、郊外にある愛琿歴史陳列館へ行った。
駅からホテルまでのタクシー運転手は商魂たくましく、翻訳アプリで他にどこ行くのー?俺案内するよ!とノリノリだったため陳列館までチャーターをした。
だいたい片道1時間ほど。
中は撮影禁止でぴったり監視員が付いていたため写真はないが、近辺の歴史を振り返る内容。
特にロシア軍によるアムール川虐殺への力の入れようはすごく、等身大ジオラマで虐殺風景が再現されていた。
なんなら731部隊記念館よりも強い恨みを感じた。
それにしても、タクシー運転手のドライブテクニックがすさまじい。
速度100km超えでバンバン対向車線にはみ出し追い越しをしていく。対向車がきていても気にしない。
東北のドライビングは総じてすさまじいが、なかなかこんなスリルは味わえない。
そして極めつけは街中へ戻ってから。
運転手は翻訳アプリを使って、「今から夜ご飯を食べに自宅に帰ります」などと言い出した。私たちは意味がわからず、てっきりアプリのミスかと思っていた。
ところが確かにホテルには戻らず、住宅街へ。去って行く運転手。
そして現れた、エプロン姿の奥さん。困惑しているとまじで奥さんが運転を始め、無事ホテルに送ってくれた。
彼はただただ晩御飯を一刻も早く食べたかったようだ。何事???????
さすが国境の町、ロシア料理が最高においしい。何?ってくらいボルシチがうまい。ハルビンでもロシア料理を食べたけれど、こちらの圧勝だった。
軍人に囲まれて…
黒河からハルビンへ戻るために駅に入ると、面倒なことが起きた。
なにやら厳かな雰囲気が漂っている。国境警備の軍人がわらわらと立っており、駅に入る人々のチェックをしている。
私たちが身分証としてパスポートを出すと、軍人の顔色が変わる。そして数人が私たちを取り囲み、何かを言ってくる。なんとなく察してパスポートを手渡すと、「動くな」のポーズとともにどこかに持って行かれた。
今思うと国境の町あるあるでなんてことはないのだが、この10分間はびくびくしていた。
無事解放され待合室でドラえもんパズルをしながら暇を潰していると、さきほどの軍人が再び近づいてきた。思わず身構える。
何かを言いたそうにしているので、私はメモとペンを差し出した。
「ドラえもん大好き」
彼は中国語でそう書くとにっこり笑った。
彼は20歳、年下だった。ハルビン出身で、いつか日本で仕事をするのが夢だという。
それから私たちは、いろいろな話を筆談でした。桜は綺麗かとか、ハルビンで一番うまい餃子はどこかとか、家の餃子が一番美味しいとか。
必死に辞書で意味を調べながら、漢字を羅列するなんちゃって中国語を使いながら。
なんだか身構えて怖がっていた自分が恥ずかしくなった。
おわりに
無事帰国した私は、そのまますぐ大学を休学した。
そして中国に留学することを決めた。
翌年3月からの留学は、正規のものだととっくに締め切りが終わっている。
だからといって諦められず、自己手配で直接大学に申し込みのメールをした。
自分がどんな仕事をしたいのか、何者になりたいのかはわからなかった。
とにかく早く中国に行きたい、それだけだ。
何をしたいのかもわからなかった私は、もういなかった。