年越しは雲南省紅河ハニ族イ族自治州で神秘の棚田を見よう
はじめに
中国の雲南省紅河ハニ族イ族自治州・元陽には、1300年以上かけてハニ族により作られてきた広大な棚田群がある。*1
2018年の年末。武漢で留学中だった私は、年越しでこの絶景を見ようと決意した。
初日の出に照らされた世界遺産の棚田を眺めながら新年を噛みしめるーーなんて素敵な計画だろう。この後、旅行全体を通して濃霧に苦しめられことになるとは、この時は全く考え及んでいなかった……。
1、おおまかな旅程
武漢→飛行機2時間→昆明→鉄道3時間→建水→バス3時間→新街(元陽)→バス8時間→昆明→武漢
基本的に日本から行く場合でも、昆明以降の行程はほぼ変わらないだろう。昆明→建水の移動はバスも便利だ。
また、元陽はバスターミナルが南沙と新街に分かれており要注意。南沙ターミナル周辺は発展しており、他の街へのバスも多く出ているが、棚田へ行くにはまた別のバスに乗って新街に行く必要がある。
2、風光明媚な観光地・建水
早朝、昆明駅から建水行きの鉄道に乗る。建水といえば、清代に作られた古い街並みが観光地として活かされている。また、戦前に作られた個碧石鉄道が観光列車に変わり、郊外の団山村まで運行されている。
観光列車は途中フォトスポットで停車し、20分後に再び発車する。途中下車や途中乗車はできない。
最終駅の団山村には古い街並みが残されている。かなり整備されており、いわゆる中国の観光地という感じ。
正直建水は棚田までの通過地点のため、そこまで期待してはいなかったが、期待通りそこそこの街だった。もちろん元陽に行くならぜひ建水観光を楽しんだ方がいいとは思うが、建水のために日本から旅行するかと言われたら微妙なものがある。
そんな建水で一番面白かったのは、スローガンで間違いない。
至る所でみかけた「標準語話せ、簡体字書け」のスローガン。実際、私が日本人の友人と日本語で会話していたら、店員に「その言葉ってどこらへんの出身?え、日本?!外国人とは思わんかったわー」と話しかけられた。自分が全くわからない言語を聞いても中国人と思うところは、さすが少数民族最多の雲南省である。
3、事故るのは時間の問題!恐怖の濃霧と峠道
建水から1日に一本しか出ていないバスで、新街まで行く。雲南省は米文化の中心地であり、麺もまたライスヌードルが主流だ。こういう野外で低いプラ椅子に座って食べる激安米線が異様に美味しいのはなんでなんだろう……。
バスで一時間ほどいくと、あっという間に山奥に入る。途中休憩したサービスエリアでは鳥が自由に動き回っており風情がある。ちなみに左の建物が、おなじみのニーハオトイレだ。
バスが走るごとに霧が濃くなっていき、ついにこんな景色になった。ただでさえ運転しにくいぐねぐねの峠道を通っていい天気ではない。しかしここでは日常茶飯事なのか、運転手は楽しそうにクラクションを鳴らしながら果敢に進んで行く。絶対しょっちゅう死人出ていると思うこの道。
突然、バスが停車。目的地の新街まではまだ距離があるはずだが、全員降りろという。よくわからないまま下車すると、宿の客引きが群がってくる。「こっから車で宿に連れてったげるよ!」という女性。聞いてみるとなんと事前に予約していた宿のオーナーだった。本来7人乗りの車に10人くらい詰め込まれ、恐怖のドライブは続いた。
ちなみにこの近辺の宿には暖房がないことが多い。気温は1月で5度~10度と比較的温暖なものの、普通に寒い。到底シャワーを浴びる気にはなれず、ダウンを着込んで部屋にある電気毛布でしのぐしかない。
寒すぎて寝る気も起きずロビーでスマホをいじっていると、華僑のマレーシア人とハニ族の宿スタッフの宴会が始まり、一緒に飲むことになった。ハニ族のスタッフは執拗に私の膝を触ってくる。それを見たマレーシア人は「ごめん、これはセクハラだ…。代わりに俺が謝るよ…ごめんなさい…」と悲しそうだった。
4、ここまで来て、見えない棚田?!
翌朝、日の出を見るべく早速近くの棚田展望台へ向かう。
そもそも前日の濃霧バスの時点で薄々気づいてはいたが、霧で全く何も見えない。見えなすぎて笑えてくる。飛行機2時間鉄道3時間バス3時間を乗り継いで来た結果にしては、あんまりだ。
日の出が近づくごとに、徐々に雲海が晴れて来ている!
見える、見えるぞ…!!
水が張った田んぼにきらきら反射する朝日。青と赤の絵の具が滲んだような水面。まさに、期待していた絶景だ。
日の出の前後5分間ほど、綺麗な棚田を見ることができた。しかし結論からいうと、2泊3日の滞在期間のうち、私たちが棚田を見れたのは結局この5分間のみとなった。そのため、これ以上棚田の写真は一つもない。まじで日の出から日の入りまで外で粘ったけど微塵も見えなかった。辛い。
以降、ダイジェストで元陽を紹介する。
おわりに
暖房はないけれど雰囲気は暖かい宿に恵まれ、とても忘れがたい年越しとなった。特に、宿のスタッフがロビーをうろつく野良犬を「犬肉!」とふざけて呼び、「この子は明日の朝食なんだ〜」と冗談を言っていたことは忘れられない。翌日、犬の叫び声のようなものが部屋の外から聞こえたが、一体全体本当に食べたのかどうか、怖くて確認できずじまいだった。
*1:参考画像元:
ぐるぐるの天パに生まれて良かったって、ドバイに行ったジェイソンくんが教えてくれた
小学生のころ、同級生にアメリカ人のジェイソンくん(仮名)がいた。
ジェイソンくんは毎年夏の間だけ一家で日本にきて、日本の小学校に通っていた。
両親とも日本語話者ではないので、日本語はほぼ話せない。
全校生徒100人ほどの少人数の学校にやってきた、日本語の話せない外国人。ジェイソンくんはとてもじゃないが学校に馴染めていたとは言えなかった。
英語の悪口をどこかで覚えた他の児童にいつも囃し立てられていたし、文化の違いなどもあってしょっちゅう衝突が起きていた。
そして私も、はっきりとは覚えてないが、多分よくわからずに差別的な発言をする側だっただろう。
しかし、あるとき、どういう流れかはまったく覚えていないが、ジェイソンくんと一緒にチェスをして遊んだことがある。
彼の家の目の前には公園があって、そこにチェス台やお菓子を持っていって、まだ幼い彼の妹と一緒にチェスをした。
私は英語が話せなかったし、なんならチェスのルールすら知らなかった。共通語も持たずに一体どのようにして遊んでいたのかは不明だが、とにかく楽しく遊んだ。
帰り道にふと、自分の天然パーマのことが頭をよぎった。
私は生まれつき髪の毛の縮れがひどく、さらに毛量がすごい。例えるなら、『凪のお暇』の凪と、ロッチの中岡の中間のような髪質をしている。
ここまでの天然パーマはなかなか珍しいので、幼少期は「外人」「もじゃもじゃ」のように囃し立てられたことがある。
子どもの言う「外人」という言葉には、お前はおれたちマジョリティとは違うマイノリティだ、という棘があり、特に疎外感を感じた。
「でもジェイソンくんは本当に『外人』で、いつもそう呼ばれてるんだなあ」
子どもながらにそう思ったものの、差別の深刻さや多文化共生の重要性なんていう考えにはもちろん至らなかった。
しかし、今振り返ってみれば、ジェイソンくんと遊んだ時に気づいたことは、その後数年間かけてじわじわと私の中に刺さったまま広がっている。
ジェイソンくんはそのあとすぐドバイに行ってしまった。今何をしているかは全く知らない。恐らくもう会うことはないだろう。
ただ、自分がマジョリティの立場で誰かがマイノリティとなる問題について考えるとき、私は必ず自分の天パと、ジェイソンくんのことを思い出す。
そしてそのたびに、「あの時気づけて良かったから、ぐるぐるの天パに生まれるのも悪くないな」と感じる。
中蒙国境、中国一美しい駅アルシャンで日本軍トーチカの廃墟へ行く【中国のスイス?】
はじめに
中国一美しいと言われるアルシャン駅が、日本によって作られたものだと知ったのは偶然だった。
鉄道を検索してみると、なんと留学先の吉林省長春から内モンゴルアルシャンまで、1日一往復列車が出ている。片道9時間、悪くはない。
さらに中国のサーチエンジンで検索していると、日本軍のトーチカがアルシャンには残っているらしい。
モンゴル国境付近の街に密かに残る日本時代の駅舎と軍の遺構…。これは行くしかない!
早朝6時に長春発、16時アルシャン着。
そして駆け足でトーチカに向かい、20時にアルシャン発、翌早朝5時に長春着。
滞在時間4時間、移動時間19時間の超弾丸旅行が始まった。
片道硬座九時間
硬座は中国旅が好きな人にはお馴染みの二、三人がけのボックスシート席だ。ひまわりの種の殻が散らばっていたり、座席なしの人が無理やり四人がけとして座ってきたりする、豊かな経験ができる座席である。
これまで私は硬座には長くても四時間ほどしか乗ったことのなかったため、九時間は不安しかなかった。
しかしのどかな車窓を眺めたり、向かいの席の人とお喋りしてればあっという間にすぎる。
また、コツを掴めばもともと狭い机の1/4くらいのスペースを使って寝ることもできる。
中国一美しい?アルシャン(阿爾山)駅
着いたー!
この駅舎が1937年に日本軍によって建てられたものだという。
中国一美しいのかはわからないが、煉瓦造りで山小屋のような佇まいは風情がある。
この駅自体もノモンハンの際にソ連軍の空襲を受けたようで、駅舎には弾痕らしきものが残っていた。
怖いぐらい澄み渡る濃紺の空を背景に立つアルシャン駅舎は、確かに美しかった。
白狼隧道トーチカ
さて、目当ての日本軍のトーチカへ向かう。
滴滴(中国版Uber)が使えない場所のようなので、駅前にたむろしていたタクシーに地図を見せ、ここ行きたい!交渉すると、2人で100元だという。
観光地価格ということで承諾した。
30分ほどかけて舗装されていない道を進む。
ご覧の通り遺跡の周りには何もない。タクシーをチャーターして行くしかないだろう。
トーチカに行く門は鍵がかかっており、近くの受付(小屋)のおばちゃんに開けてもらう仕組みだ。
月曜日から日曜日の9:00~17:00の間に入ることができ、無料である。定休日ないんか。
ひとつ気になったのは、受け付けのおばちゃんは明らかにこの小屋に住んでおり、テレビ見ながらお昼寝していた。日本軍トーチカ跡地で暮らすおばちゃん、何者…。
おばちゃんは「日本人って初めてみた〜。私たちとおんなじ顔してるね」と笑っていた。
受付の彼女がそういうなら、日本人観光客が来ることはそうそうない場所なのだろう。
事実、ネットで検索する範囲では2008年の学術調査以外で訪問した日本人のページは見当たらなかった。
草をかき分けて進むと、目当てのものが見えてきた。
「国恥を忘れるな」の文字。現在この場所は愛国主義教育基地に指定され、それゆえ保全されている。
4階建てに地下室がついた、広めの建物である。想像していたトーチカよりずっと暮らしやすようだ。
中には宿舎、便所、浴槽跡などがある。
また、室内にはこの近辺の要塞ができた経緯やノモンハン事件についての展示がある。
ここから見えるのが白狼トンネル。我々が鉄道でアルシャン駅に向かう途中に通ってきたトンネルだ。
ノモンハン事件の時にも、この線路を使って前線に送るための物資が運ばれていたのだろうか。
アルシャンの街道をいく
駅に戻り、タクシーの運転手と別れた後、少し早めの夕飯を食べた。
ここの郷土料理?だという氷煮羊。
鍋に氷と羊肉を入れ、煮込む。
最後に野菜を入れ、食べる。氷をいれる意味はわからないが、内モンゴルだけあって羊肉がかなり美味しい。
古代のような味のするヨーグルト。
観光地によくある二人乗り自転車を借りて、街中をぶらぶらする。
一般的な中国の街とは異なる、整備の行き届いた街道。
広場では安定の広場ダンスと太極拳が行われており、みんな思い思いにのんびり過ごしていた。
おわりに
アルシャンを歩いていると温泉施設がしばしば目に止まる。かつて1930年代には、日本風の温泉街が存在したという。
こんな大陸の奥地にかつて日本人が住んでおり、さらに100キロ先ではソ連と戦闘が繰り広げられていた。そのことが現在となってはとても信じられない。
駅舎とトーチカだけが、この街の歴史を記録するように今でもひっそり佇んでいる。
サイゼ、共産党、スタバ…ちょっとディープな上海観光案内
はじめに
上海に二回行ったことがある。一回目は留学のために船で大阪から上海まで行ったとき。通過点ではあるものの二泊して外灘豫園などのメジャーな観光スポットはまわった。
二回目は就活のために留学先から行ったとき。どちらが楽しかったかというと断然後者だ。訪れた場所のディープ度が違うからである。そのとき訪れた観光スポットを紹介する。
上海旅行の参考にしてほしいとは言わないが、気が向いたら行ってみて欲しい。
テーマパーク?世界一の巨大スターバックス
2017年に上海にオープンしたスターバックスの高級業態「ロースタリー」は、広さが世界一なことはもちろん、その中身も度肝を抜かれる。
まず建物、でかい。謎のドアマンが立っている時点で普通ではない。
中はテーマパークのようになっており、豆が焙煎されるところからコーヒーになるまでを見学できる。
観光客がたくさんいるため、コーヒーショップとしての居心地はあまりよくない。
大量のパンは眺めるだけで人を幸せにする。
メニューや価格もまた通常ではない。中国人のスタバ好きがよく伝わる。
おそらくこれから上海の新しい観光スポットとしてガイドブックに載るのではないか。
インスタ映えスポットに大量の共産党員!中国共産党第一回全国代表大会会址
上海に新天地というオシャレスポットがある。
昔の建築をリノベして、レストランや雑貨屋が集まったストリートである。気取ったテラス席はお昼からビールを飲む外国人で溢れる。そんな一角に、明らかに一つだけ空気の違う場所がある。
共産党の第一回全国大会が開かれた建物であることを記念した、中国共産党第一回全国代表大会会址だ。
まず中に入ると、大量の共産党員がツアーか何かで来ていて、党旗にむかって何かを暗唱している。党規約かな?
中国の歴史記念館には、基本的にお決まりの型がある。まず展示入り口で歴史を学ぶ必要性を説いて、具体的な事件を羅列する。そして最後は習近平が実際に見学しに来たとか、演説で触れたとか、つまり必ず習近平で終わる。
ここも例外ではない。むしろパワーアップバージョンと言って良い。
謎の空間に習近平の演説が流れ、終わると来場者から拍手が巻き起こる。やはり上海は違う。
まわりの新天地とのギャップが凄まじい。
お洒落でモダンな上海に飽きたら、ぜひ中国共産党第一回全国代表大会会址で“中国”を感じよう。
自分も近代の一部であると自覚できるサイゼリヤ
私はサイゼ飲みを愛してやまない。
そこそこ美味しいワインと、ワインに合うパンツェッタやピザが低価格で自由に飲み食いできる。
そんなサイゼリヤは中国にも進出している。
中国でサイゼリヤ?美味しくなさそう、日本より高そう…そう思う人もいるかもしれないが、断じてそんなことはない!
まずメニューを見て欲しい。
基本的には日本のメニューを踏襲しているものの、中国独自の料理もある。
一番注目して欲しいのが値段の安さだ。生ハムとサラミとモッツァレラチーズのセットで28元!?(日本円で約450円)
中国でイタリアンがこの低価格で食べられるのは異常事態だ。他のパスタ類も日本のサイゼとほぼ同額、下手したら少し安いかもしれない。
もちろんもっと安いパスタは中国のレストランに存在するが、安かろう悪かろうである。
サイゼ飲み常連にはおなじみランブルスコロゼももちろんある。価格は約1000円ほど。安価でおいしいワインの少ない中国において、価格革命である。味ももちろん美味しい。
ところで、私は普段自分が日本人であるということにアイデンティティを感じない。
オリンピックで日本人が優勝して「日本人であることを誇りに思う」という感覚がない。偶然日本列島に生まれ、日本国籍を持っているという定義に感慨を持たない。「日本人として過去の戦争での加害を恥じる」とか「日本や日本人がバッシングされたら自分が傷つけられたように思う」という意識も乏しいかもしれない。それは中国に留学してからも同様だった。
しかし、エスカルゴのオーブン焼きを食べた瞬間、ランブルスコロゼを飲んだ瞬間、身体中に日本人であることへの自覚と肯定がほとばしった。そして気づいてしまった。
私もまた国民国家という幻想に飲み込まれた近代の一部なのだと。
さいごに
ここに書いたスタバ→共産党創建歴史陳列館→サイゼリヤの流れは、基本的に私が留学先である武漢から上海まで旅行した際の最終日の行程と同じだ。
スタバを満喫し、歴史に触れ、サイゼリヤで空腹を満たしほろよいになった私は、武漢に帰るために上海浦東空港へ向かった。
……乗り過ごした。
【その3】初台湾・金門島を無免許原付でかけぬけろ!【中華民国福建省】
3日目 アモイは蜃気楼のビル群
まず上陸するとその異様な光景に目がいく。この島、政治的なスローガンが街中に頻繁に点在しているのだ。
当たり前だが台北ではまずこんな光景はない。台湾で一番かつての軍事政権下のおもかげが残っているのは、おそらくここ小金門だろう。
灼熱の中、『三層楼』のタロイモかき氷には本当に助けられた。確か500円しないくらいで、かなりのボリュームがあった。
小金門はとにかく暑い。日差しを遮る陰になる建物もない。人もいない。しかし、牛はいる。
1人心細く走っていた中、癒しは放し飼いされている牛たちだ。
『三層楼』から北へ畑道を進んでいくと、海に出る。
見えた、中国アモイ…!!
金門側ののどかさと比べるとアモイのビル群は正反対だ。波の音しか聞こえない、誰もいないビーチから見えるアモイは、まるで蜃気楼のようだった。
「国境」と表現すると、それは中国側からしても台湾側からしても異議のある言葉かもしれない。
しかし、この目前にある島に行くためには、私は台湾出国手続きをしなければならないし、中国入国手続きをしなければならないし。つまり、ある種ボーダーであることには変わりない。
小金門はとても魅力的な島だ。戦史好きも、建築好きも十分楽しめるだろう。でも、訪れた際にはぜひボーダーウォッチングもチェックしてみてほしい。
ところでスマホはどうなったかというと、結果的に見つかった。宿主の方がタクシー会社に問い合わせて捜索してくださった。スマホはパクられやすいだろうと思って諦めていたので、本当に嬉しかった。
さいごに
2018年8月13日。私は高雄にいた。明日の飛行機で帰国する。長くもなく、短くもないが、良い旅行だった。
高雄はこの日、土砂降りだった。ゲストハウスでチェックインしようとすると、どうやら私が泊まるのはここから数百メートル離れた別館らしい。傘は持っていなかった。もう少し収まるのを待つべきかと玄関で躊躇していると、50代くらいの女性が話しかけてきた。
「困っているんでしょう?私のバイクに乗りな」
彼女はさきほど私の横でチェックアウトしてた。スタッフとの会話を聞いていたんだろう、親切で優しい人だ。彼女の勢いに押されて後ろに飛び乗ると、その勢いのままバイクは高雄の街を疾走した。もちろんバイクなので、私は全身ずぶ濡れになった。
【その2】初台湾・金門島を無免許原付でかけぬけろ!【中華民国福建省】
2日目 交通ルールミリしら女の爆走
金門島は交通の便がいいとは言い難い。一応観光バスは存在するが、1時間〜30分に一本程度であり、バス停の数も十分ではない。
一番のオススメはレンタカーかレンタルバイクだ。宿の人に聞いてみると、市街地のレンタルバイク屋へ車を出して送迎してくれるという。1日レンタルして700元(=2800円)。ネットで見た相場より高い気がするけど、まあいいや。
それよりも重大な問題がある。私は原付の運転をしたことがない。また、自動車含めて何の免許も持っていない。
これが意味することは、海外で交通ルールもよく知らないまま、生まれて初めて自転車以外の乗り物を運転するということである。赤信号が止まれ、青信号が進んでも良いという意味であることは知っている。逆に言うと、それ以外は知らない。
もちろん台湾で原付は電動自転車のような扱いであり、免許はいらないから法的な問題は無い。地元民はヘルメットなしでがんがん乗り回している。これは気持ちの問題だ。
果たして二日間、無事故で運転できるのだろうか……。
タクシーをチャーターするという手もあるのかもしれない。しかし、日本ではわざわざ試験を受けお金を払わないといけない原付に、気軽に乗れるなんてなかなかない。人は好奇心には勝てない。
私が原付の前で不安そうにしていると、レンタルバイク屋のお姉さんが「右ハンドルを回せば進む、操作はそれだけ」と教えてくれた。それでも不安で敷地内を20周くらい試運転していたら、逆にビビっているのに何故そこまでして借りるのかと不思議そうな目で見ていた。
とにかく、交通手段を得て金門島周遊の旅が始まった。
まず獅山砲陣地。毎日10:00,11:00、13:30、14:30、15:30、16:30に海の向こうへ砲撃するパフォーマンスを行なっている。坑道の中から観る砲撃ショーはあっという間だが見応えはある。
次に馬山観測所。島の北東部にあり、対岸の角嶼まで2キロほど。中国側の通信会社にローミングが入るときがあるらしいけど、試すのを忘れてしまった。
中にある放送所からはテレサテンも大陸に向けてプロバガンダ放送を行なった。
確かに近い。
それにしても暑い!気温は32度で東京と変わらないが、日差しが尋常ではない。道中見つけたカフェで涼んだ。サービスのクッキーが美味しい。
しばらく原付を運転して気づいたことがある。金門は交通量が少ない。基本的に道中はこんな感じ。
歩行者や他の車と事故る心配は微塵もない、めちゃくちゃ初心者に優しい土地だった。免許はないけど運転してみたいという方、ぜひ金門島に行ってみてほしい。
台湾海峡危機に関する記念館。普段中国の歴史記念館ばかり行っているから、最後に習近平の登場しない記念館はとても新鮮だ。
金門の街並みはこんな感じ。発展しているとは言えないが、セブンイレブンもあって便利。
慈湖付近にあった戦車。
この坑道はライトアップされていて神秘的な観光スポットになっているので、当時の兵士の苦労などを感じたいなら少し違うかもしれない。
中心地の「模範街」。いくら中国人観光客が多いといえども、中国の国旗が台湾でたなびく光景は異様だ。
2日目の金門観光、主要どころは周れて満足した。バスだったら2日はかかるかもしれない。
さいごに、この日に学んだことを書いておくのでみなさんの旅の参考にしてほしい。
- 原付のバッテリーは交換することなく島周遊できる。
- 初原付でも意外と運転に支障はないから観光するなら借りてみよう。
「3日目 スマホは見つかるのか?フェリーで更にアモイに接近!」に続く
【その1】初台湾・金門島を無免許原付でかけぬけろ!【中華民国福建省】
はじめに
中華民国福建省金門県。名前を聞いてぱっと思い付く人は近代史好きか、台湾好き以外多くないだろう。
台湾島を統治しているのは中華民国政府だが、その中華民国が統治している島のことだ。中華民国成立以来、日本や他国に統治占領されたことがない脈々と続く中華民国領中の中華民国領だ。
近年「台湾人」意識が形成されてきている中でも、金門の人々は「中華民国」意識を保っていたりいろいろある*1のだが、もう、とにかくややこしいのでここでは「台湾の金門島」と呼ぶことにする。*2
とりあえず地図を見てほしい。
こう言うと多方面で問題があるのだが、明らかに中国領であったほうが地理的に収まりが良い場所に金門島は存在する。東京都で言うところの町田市だ。
中国の厦門からの距離は最短わずか2キロ。島中には国共内戦時代の遺跡が多数残っている。
本記事は、そんな魅力溢れる金門島を、真夏にヒイヒイ半泣きになりながら無免許原付で走り回った初台湾旅行の記録である。
1日目 二度ある災難は三度ある!?
2018年8月11日、台北松山空港。
そもそも、松山空港に着いたときから嫌な予感はしていた。
台北から金門へ渡る飛行機の出発時刻を二時間ほど間違えてしまった。
今回は二時間早く誤解していたケースだったので旅程には影響はない。しかしこれは経験則だが、一度旅で誤解やトラブルが起きると必ずまた何かが起こる。
一時間のフライトを終え小さい金門空港に着くと、タクシーでゲストハウスのある水頭集落まで向かう。水頭集落では、伝統的な家屋が複数リノベされて民宿になっている。車を降り、自分の予約したゲストハウスを確認するためにスマホをチェックした。いや、スマホは無かった。
スマホ、タクシーに忘れた……。
慌ててまだ小さく見えるタクシーを追いかけた。50メートル走10秒の脚では当然追い付かない。普段の運動不足を恨んだ。
諦めだけは人一倍早い。遠ざかっていくタクシーのナンバーを必死に覚え、宿に向かった。ここで焦っていてもしようがないし、とりあえずゲストハウスにチェックインし、宿の方に助けてもらおう。
いや、宿が開いていない。明らかに鍵がかかっているし、何回呼んでも人が出てこない。電話しようにもスマホはタクシー内だし、詰んだ。8月のめちゃくちゃ暑い日差しの中で、しばらく立ったまま呆然としていた。
冷静になってふと周囲を見渡すと、一軒の食堂があった。私は急いで飛び込み、「隣の家の人知らない?!ドア開かない!ドア開かない!」と酷い中国語で絶叫した。
店員さんは汗ダラダラでやってきた下手くそ中国語のアジア人に対して気味悪がりながらも、宿主に電話を入れてくれ、無事チェックインができた。
どうにもこの宿は付近に母屋があり、私が突撃したのは小屋のほうであったため人が不在だったようだ。でも予約サイトにはそんなこと書いてなかったよ……。皆さんも金門島でゲストハウスに宿泊するときは、事前に確認するか近くの食堂で絶叫してみてほしい。
宿自体は古民家をリノベした素敵なところだった。
飛行機、スマホ、宿……長い1日だった。でも三分の二は自分の不注意のせいなので仕方がない。そもそも普段スマホを忘れることなんてないのに、どうして海外旅行中に限って落とすのか不思議だ。
なにより怖かったのが、台湾で落し物をして警察のお世話になると実名報道されるとかいう話だ。*3
宿主の方に頼み込んでタクシー会社に連絡をし、捜索してもらうことになった。どうか見つかって……!まだ購入から2年経ってないから!
そう祈りながら、1日目の夜は更けた。
「2日目 交通ルールミリしら女の爆走」に続く